いい日

お家で一人で読んでください。

(8)

冬の空気は眉間に刺さるようで苦手。


今朝、自宅のゴミ箱に小さなチラシが捨てられていました。どこかのお店の割引券でただの紙切れだったのですが、何故か目についてしまったのです。「ワクワク券」と印字され水色とピンクによるポップなデザインは安っぽくもピュアな感じがする、にもかかわらず、それがあろうことか猥雑に丸められゴミ箱に捨てられている。こういうの見るとすごい恥ずかしくなってしまいます。ちっぽけでしょうもないモノですが企画やデザインを担当した人がこの世に確かに存在していて、彼らが、「ワクワク券」がいいんじゃないか、デザインは水色とピンクにしよう、なんて話し合っていたなんて考えたら。そこそこの人々のそこそこの時間を費やしたモノが全く相手にされていない。作り手の希望や理想(おおよそ存在するかはわかりませんがあるように思えてしまう)が受け手の無関心に一蹴されている、現代においてありふれている状況が、とても苦手です。


小学生の頃の話。塾通いの為に使っていた京王線の車内に、弁護士事務所の広告が掲載されていました。その広告に小さく「おもしろCM (HPのURL)」と記載されていたんですが、それに強烈な違和感を覚えました。何故自分の制作物をおもしろいなんて評すのか、これで下手なコメディ調だった場合、私はマジの羞恥心に苛まれる気がしてならない。以降半年くらいこのCMを見るか否かで葛藤することになります(URL暗記してしもうた)…結局見なかったんで内容はわからんのですが…。なんだろう共感性羞恥なんですがその原因はCMが面白くないことなので自分に決定権があるという。故に面白いと感じなければならないという期待を幻覚して羞恥が増してしまうスパイラルに陥ったわけです。この話割と本気で小学生の頃の一番の思い出かもね…。


この記事書きかけを補完したものでバイブス至らずあやふやになってしまいました。このブログも割引券とかCMと変わらないだろうというご指摘につきましては、別にあなたに見てほしくて書いてるんじゃないんだからね!って感じで。嗚呼恥ずかしい何もかも誰も彼もが。

(7)

今日はベンチャー企業の説明会に行ったんですが、人事の人が色抜け茶髪&カラコン(たぶん、アイプチかもわからんが)で私の心は燃え上がりました。どうみてもキャバ嬢。説明全く覚えてねぇ。


最近ゲームをしています。殆どギャルゲーみたいなものなのですが、キャラクターも科白も00年代そのもの…。なんていうか二次元!って感じなんですね、メイドキャラ(准)とかマシンガン漫才(ボケとツッコミをひたすら繰り返す会話劇)とか体言止めツッコミ(「生命の危機!」みたいにツッコミが体言止めで簡潔になされる、現実ではまず見ない)とか象徴的ですよね…。私が小学生の頃やっていたので確か2005年頃発売だったはず。時間が進む以上、今現在のトレンドがやがて時代遅れになるのは避けられません。モノ自体は不変でも貼られるレッテルは当然変わります、当たり前すぎて恥ずかしい。


私たちは普段、無意識に様々なモノに対してこのレッテル貼り、比較考量による評価を下していますが、それと同時に評価される対象、モノの側でもあります。就活なんてさいたる例なんですが。恐ろしい?のは、アイデンティティに関係する部分も可変的であるということです。例えば、現代日本人の殆どは、今この瞬間に自身を「平成人(造語すみません)」だと自覚している、だけれど3年後、5年後に新しい元号にも慣れてしまえば、平成人なんてアイデンティティは消えて無くなってしまう。更に進んで22世紀になったらどうなるか、間違いなく私は20世紀の人間として扱われると思います。20世紀末なんて知らないし、物心ついてから自分を21世紀の人間だと考えているのに、97年生まれというだけでそういう存在だと定義される。平成生まれのなんちゃらとかTVとかでおおっぴらにいってますから、まあこの流れは未来永劫変わらないでしょう。


そんなわけで私は平成の人間で、21世紀の人間で、20世紀の人間(予定)なんですが、こんなに評価が変わっていくと考えると恐ろしいですね。今はキャピキャピ大学生でさながらiPhone Xのような丁重な扱いを受けていますが、そのうち掃いて捨てられるんだろうな。まさに自業自得…。ゲームやってたら文章ヘタになった気がする…。







(6)

お裁縫とか料理とかへの憧憬が日増しに高まっています。楽器が上手なのも素敵ですが、生活が上手いのも同じくらい意味があることだと思います。


今日の昼頃、道端でおじいとおばあが4人くらいで立ち止まって横道の方をじっと見ていたので何かと思えば猫が昼寝をしていました。仮に小学生があの場にいたら同様に足を止めていたはずで、齢10にも満たない子どもと70.80を超える老人が殆ど同じ行動を取るであろうシチュエーションはなかなか奇っ怪にも思えます。感受性というものは一生衰えないのでしょうか。でも年寄りになっても今と同じくらい無為や死が恐ろしいと感じてしまうのは間違いなく人間構造の欠陥だと思いますが…。


大学生になってから「最近なんかあった」的な質問によく直面するのですが、なんもないので悲しくなってしまいます。太郎くんも全く同じことを云っていたので案外みんなそんなもんなんだと安心(失礼すぎるけど)してしまうのが本当にしょうもないと反省しました。この手の会話の動き出しが増えたのも偶に会う知り合いが増えたからで、活動範囲が広がったと考えたら悪くはないのかな。それとも私の会話能力が低いからなのか、下手の横好き。SNSとかいう「なんか」で構成された文化のおかげでなんもない時間が反面色濃く見えるって無限回云ってますけど、考えてみれば在否を比較で捉えるのはおかしいですねすみませんでした。無限回とか3億円とか114514とか数字の誇張は現代日本の数少ないオリジナルカルチャーだと勝手に決めつけていたのですが、読みかけの村上春樹訳(選だったかもしらん)の50年代アメリカボーイミーツガール小説にやたら100億回とか10万回とか出てきたので、これってもしかしてアメリカ発という可能性が出てきました。もし若者らしさを演出するためのアドリブだとしたら天才的ですね。

(5)

早稲田大学中南米研究会様、55周年おめでとうございます。今後ますますのご発展をお祈り致しております。


最近、インターンシップなるものに時々行くのですが、まあ何も喋れない。前にも書いた気がするけど、21歳の成人男性が喋れない様は哀れ極まり、慈悲深い人なら100円くらい募金してくれそうだ。そうして集まったお金で俺は啓発本を購入し、それは本棚の肥やしになり、終いには飼い犬に齧られて開かなくなる。啓発本読んで人生変わる人はどんな人生送ってきたんだ。数十万の文字列に自分を左右されたくはない。読書に暇つぶし以上の何かを見出せるのはとても頭が良い人間だけだと思う。


毎回々々思うのは、みんな話すの早すぎる。俺の考えがまとまる前に話し出して、さあ云うぞって時には結論が出ている。嫌になるね。それでいい感じになってるならいいんだけど、大体スゴいことになってる(オリックスインターンで「この企業に対する最善の提案は?」みたいな課題が出たんですが、2グループくらいオリックスバッファローズとコラボすると答えていてとても面白かった)。再考とかしないのん?俺も痛感しているけれど、大学生になってから思考が死んでいる。考えることができない、思いつくことがない。考えなくても怒られないもんね、自由すぎてどんどん不自由になってる。勘弁してくれ。


推測に過ぎないけれど、人間誰しも一度は自身の無教養に絶望するときがあると思う。自分が如何にしょうもないか知る機会に誰もがありつける。そのときが来れば、俺も本を読み漁って映画にハマって美術館の全集を追いかけるようになる気がする。その後はきっと大丈夫。思考を取り戻すのだ。その瞬間までおやすみ!!!


昨今の教養最強理論マジで死に絶えた方がいい。



星里もちる 『光速シスター』

マンガです。SFラブコメです。全3巻で読みやすい。雑誌を買わない単行本派なのもあって、やっぱりマンガは短いのに限る、という感じ。半年前くらいに古本で1.2巻を購入し読んだのですが、あまり本屋のコミックコーナーを覗かないため間が空いてしまい、本日3巻を読み終えました。アマゾンってやっぱ便利。以下あらすじ。

ドラマの聖地巡りをしていた三谷くんは突如現れた謎の飛行物体に激突し、意識が途切れる。目を覚ますとそこは自宅のベッドの上。しかし、隣には見覚えのない女の子。彼女は妹のハナを名乗るが…。

みたいな。

短中編のラブコメは所謂日常回がないのでとってもサクサク読めます。個人的にキャラに入れ込むタイプではないのでありがたい。全体として、3巻前半の展開にやや違和感を覚えるものの、とても綺麗にまとめられていると思う。余分な部分がないのは言ってしまえば淡白なんだけれど、それ故に飽きがこない、読後感も良い。内容もある程度お約束な感じですが、言い換えれば期待通り。とっても良い作品でした。キャラクターメチャ可愛い短中編大好き。

『ザ スクエア 思いやりの聖域』

よくわからない映画だったので文字に起こして考えをまとめます。

現代芸術を扱う美術館のキュレーターである主人公がひょんなことからスマホと財布をスられてしまうっていう始まり。現代社会風刺みたいな内容で間違いないと思う。

複数の物語を同時に進行させるやり方で、場面はトビトビ、最近の映画あるある。正直、よくわからなくなる。

そもそも現代芸術って大半がアンチ現代社会みたいな感じで(たぶん!)、その点においてスクエアも希薄になっていく人間関係に警鐘を鳴らそうとするアートとして登場した?しかし、アートをアートたらしめるには人々に認知されることが必要であり、現代社会を批判するスクエアを極めて現代的な方法で喧伝する矛盾が表面的に見てとれる。ホントに表面的すぎて書くほどでもないね。

現代社会はあらゆるものが明確に理解できるようになった。EDMとか代表的な例か。現代芸術はそれに対して不明確である。なんでもないものでとんでもないものを訴える。でも一般的や現代人はわかりやすいものに慣れすぎて、それらを理解しようとしない。主人公もその一人だが、キュレーターという立場上、理解と共感を示さなければならない。そのためにトリセツを読み上げるのだ。このアートはこういうことを云いたいのだと書かれた原稿に対し共感する。個人と全くかけ離れた主義思考を口から吐き出すのだ、アートとは個人に向けられるものであるにもかかわらず。そもそも現代芸術が一般に公開されるべきシロモノかというところに疑問を覚えるのだが。

アイヤイヤーモンキーマンのシーンは怖かった。これはアートだと言い張ればどこまで許されるのか。自分を文化人だと考える人々は目の前で繰り広げられるコンテンポラリなアートらしきものを許容しようとするが、やがて目的は自身の安全にすり替わり、遂には決壊する。ホントにああいうの観てて嫌になるからやめてほしい。

物乞いを辱めたことを批判する集合の正義と、少年が名誉をきずつけられたことに怒る個人の正義に優劣はあるか?キュレーターとして色々語ってた主人公が、眼前に存在する一人の弱者を相手にしないという矛盾がわかりやすく存在するが、それだけじゃないだろう。うまく言葉にできないなぁ。

結局は社会的な側面と個人的な側面を持つことを回避することは不可能である。赤ん坊が会議中に泣きだしてもそれを咎めないよう強制する。しかし、それを不快に思うことは許してもいいだろう。公の場で個人の意見を宣言することはとても恥ずかしい。それでもそれは悪いことじゃないと思う。

よくわからねぇ。

(4)

21歳よ、21歳ってヤラシイなぁ。

21にもなってこんなんでええのんかと。思うわけでございます。見知った人間としか会話できないで、面白い事云えるわけでもなく。何かに本気で打ち込んだことがあるかと問われれば目を伏せるしかない。嫌だ嫌だ。コミュ強陽キャになりたいよ。金ピカのネックレスつけて日サロに行きたいぜ。なのでそうなれるように頑張ります。そう思う8/28深夜です。

最近、ジャンパースカートという単語を知りました。やばすぎないか、おっぱいが。袖のないエプロン状のスカートを指すらしく、割と動きやすいので子供服とかに使われるデザインらしい。しかしGoogle画像検索。Zozo商品一覧。やばいね。エモ。何故V字にしてしまうのか。デコルテを強調するのか。それがなかったら直線的なシルエットで子供っぽいのに。V字になるだけで半端なくセクシャル。普通のTシャツとかより目を奪われてしまう。スカートっていう割と潔白?って印象のアイテムに組み合わせるからこその相乗効果なんでしょう。ファッションって奥深いですね。