いい日

お家で一人で読んでください。

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今日はベンチャー企業の説明会に行ったんですが、人事の人が色抜け茶髪&カラコン(たぶん、アイプチかもわからんが)で私の心は燃え上がりました。どうみてもキャバ嬢。説明全く覚えてねぇ。


最近ゲームをしています。殆どギャルゲーみたいなものなのですが、キャラクターも科白も00年代そのもの…。なんていうか二次元!って感じなんですね、メイドキャラ(准)とかマシンガン漫才(ボケとツッコミをひたすら繰り返す会話劇)とか体言止めツッコミ(「生命の危機!」みたいにツッコミが体言止めで簡潔になされる、現実ではまず見ない)とか象徴的ですよね…。私が小学生の頃やっていたので確か2005年頃発売だったはず。時間が進む以上、今現在のトレンドがやがて時代遅れになるのは避けられません。モノ自体は不変でも貼られるレッテルは当然変わります、当たり前すぎて恥ずかしい。


私たちは普段、無意識に様々なモノに対してこのレッテル貼り、比較考量による評価を下していますが、それと同時に評価される対象、モノの側でもあります。就活なんてさいたる例なんですが。恐ろしい?のは、アイデンティティに関係する部分も可変的であるということです。例えば、現代日本人の殆どは、今この瞬間に自身を「平成人(造語すみません)」だと自覚している、だけれど3年後、5年後に新しい元号にも慣れてしまえば、平成人なんてアイデンティティは消えて無くなってしまう。更に進んで22世紀になったらどうなるか、間違いなく私は20世紀の人間として扱われると思います。20世紀末なんて知らないし、物心ついてから自分を21世紀の人間だと考えているのに、97年生まれというだけでそういう存在だと定義される。平成生まれのなんちゃらとかTVとかでおおっぴらにいってますから、まあこの流れは未来永劫変わらないでしょう。


そんなわけで私は平成の人間で、21世紀の人間で、20世紀の人間(予定)なんですが、こんなに評価が変わっていくと考えると恐ろしいですね。今はキャピキャピ大学生でさながらiPhone Xのような丁重な扱いを受けていますが、そのうち掃いて捨てられるんだろうな。まさに自業自得…。ゲームやってたら文章ヘタになった気がする…。