いい日

お家で一人で読んでください。

(12)

令和だね。書くよ。れいわと打っても変換されない。iPhoneも令和になった実感がないらしい。




昨日はブックファースト新宿店に行った。俺が中学生の頃ずっと居た場所で、3年間で8万円くらい費った気がする。メインの出入口から入ってすぐが雑誌コーナーなのだが、妙に汗臭かった。なんとなく落胆しながら右のほうに進むと文庫・単行本コーナーがある。そこは棚の配置が変わったくらいで記憶と相違はなかった。以前は官能小説のコーナーで立ち読みしているおっさんの精神に一目置いた、というべきかなんというか、見習うべき一側面があるのではないかと思ったりしていた。羞恥心の強い人間ですので。行動に移す前から結果に思い至ることがないので意味がない性質ですけれど。


文庫・単行本コーナーの反対側、すなわち出入口の左側はなかなかの変貌ぶりをみせていた。レジ前には高級万年筆やらセカンドバックやら、はては海の音がする?インテリアまでが点在し、お洒落というかキザな雰囲気だった。その奥は以前美術書コーナーだったのに、TOEICとか横文字がたくさん並んでいて、人が溢れかえっていた。なんのこっちゃ。


漫画コーナーは少し離れたところにあるのだが、ここが本当に変わっていなかった。入った瞬間から記憶の通りの匂いがして少し感動してしまった。グルグル周ってみたが配置も変わっていない。きわめつけは月ごとの新刊情報が載っている黄色いチラシが全く同じ場所に掲出されていたことだ。A1サイズくらいの大きいもので最近は本屋で見かけなくなった(目に入っていないだけか)のだが、変わらず存在していた。それだけで訪れた意味があるような気がする、嬉しかったです。シティーなオタクの郷愁は、大型本屋に向かう。


話変わります。さっき『この世界の片隅に』観てしまった。こうの史代の作品で『ぼおるぺん古事記』というのがありまして、中学の古典の授業で教材として一部を読んだのです。それがなかなか面白かったのでいくつか作品を読んだことがあったのだが、『この世界の片隅に』は漫画も映画も何故かみなかった。


仔細なら感想は書かないのだが、こうの史代の作品はとにかく「未完」的感覚が強いと思う。作品が終わってもキャラクターの人生は続いているような気にさせてくれる。短編が多いのも理由の一つなのだろうが、俺はここに「生活感」なるものを見出したい。


最近こうの作品読んでおらず曖昧な記憶とイメージが頼りになってしまうので自分の意見のみ書きます。作品における生活感とは、俺が思うにキャラの死までを想起させられるかだと思う。少年漫画の主人公とかは永遠に冒険してそうだし、ずっと高校生のままのような印象を受けるけれど、これとは真逆の感触を受け得るものである。そしてそこから発展して、観者が自身の死に気づく(思い出す)ことができればそれは一流の作品なのだろう。だから読後感(映画の場合はなんて言えばいいんでしょう)に寂しさ、寄る辺なさが混じってしまう。そして最後に、生きている実感を得る。この点『この世界の片隅に』は鬱々としない、清々しい終わり方をしてくれるので、体をなしていない戦争への感情でなく生の実感を存分に与えてくれる。


生活ってことばの良さに久々に気づかされてしまった。小学校低学年の頃、「せいかつ」って授業あったけれど、何をしていたのか全く思い出せない。昔から知っていることばだから魅力に気づきにくいというか具体性を持たせるのが難しいけれど、今この瞬間が生活だって忘れないように生きなければいけないですね。これfilmarksにも書いたけど我ながらいいこと言ってるから2回書いちゃった。filmarksと読書メーターのアイコンが原田知世なんですが知らん人が女だと思ってイイネしてきてる節ある。