いい日

お家で一人で読んでください。

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節分です。立春春一番。あけおめ。かじかんだ指で「慎太郎」ってうつと偶に間違えて「死んだらろう」って予測に出てきて嫌になる。


特に書くことがないので困っています。スマホにネタ帳ではないですが思ったことをメモしています。2019年はまだ「ビスチェ」としか書いてないです。街中で下着着てる人間の正気を疑うね。


最近ESにオススメの本の紹介をしたのでそれについて書きます。ちなみに落ちた。紹介したのは藤沢周ブエノスアイレス午前零時』、確か芥川賞受賞してた気がします。あらすじは、旅館で働く青年が田舎特有の辛気臭さ、行き詰まり感に嫌悪感を感じながらも抜け出せないでいるが…って感じです。以降ネタバレ注意です。


小説に限らず物語は全て綺麗事だと思います。機会に恵まれて、人間に恵まれて、一見して誰もが羨むような成功を手に入れる、これらは全然綺麗事じゃないです。私が思うのは、あらゆる物語はいいとこ取りであるということです。物語は根幹をなす複数の場面を連続して配置することによって作品が成立します。あまりに冗長だと娯楽としての質が下がるので取捨選択が必要になります。つまり、私たちはある種の要約を読んで心動かされています。ラブコメとか最たるものだと思いますが、キャラクターの日常のほんの一部を垣間見て恋愛はいいな、死にたいな(これは反動形成)となる。何をわかった気になっているんだ。仮にキャラクターが現実世界にいたら百倍感動してるでしょう。つまり、第三者視点での感動は、主体としてのそれ(すなわち現実)には敵わないということです。


本書についても同じことが云えるように思います。主人公はタンゴを踊る老人たちをグロテスクだと思う、しかし自分も彼らと同等だということを諦観している。私も着飾った老人たちの情熱的なダンスにはちょっと見たくない、毎日そんなものに囲まれる絶望感もわかる。でもこれは所詮共感にすら至らない小さな感想です。主人公と私の中でベクトルの方向性は一緒でも大きさは乖離している。しかし、本書の描写はそれを少しでも近づけてくれる強さがあると感じます。局所的で具体的な表現は私の共感を煽ってくれる、しかもその内容が一見して美しくない、所謂芸術性とかけ離れている(お婆ちゃんのペディキュアが云々とか書いてて何が楽しいのかわかりませんが)。


加えてオチも秀逸です。あんま詳しく書かないですけど。最後まで冷静な感じは芯が通っているように思います。持論では、駅のホームで男女が抱き合うか、校舎の窓際で美少女が黄昏れば大抵のストーリーはオチるんですが、そういったベタな雰囲気を出しながらも地に足ついてるように思う。あと太宰中期っぽいのもいいですね。反俗。


最近のエンタメ小説は起承転結の「転」が大きすぎて嫌です。何も起こらない粛々としたやつが読みたいです。終わり。