いい日

お家で一人で読んでください。

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お裁縫とか料理とかへの憧憬が日増しに高まっています。楽器が上手なのも素敵ですが、生活が上手いのも同じくらい意味があることだと思います。


今日の昼頃、道端でおじいとおばあが4人くらいで立ち止まって横道の方をじっと見ていたので何かと思えば猫が昼寝をしていました。仮に小学生があの場にいたら同様に足を止めていたはずで、齢10にも満たない子どもと70.80を超える老人が殆ど同じ行動を取るであろうシチュエーションはなかなか奇っ怪にも思えます。感受性というものは一生衰えないのでしょうか。でも年寄りになっても今と同じくらい無為や死が恐ろしいと感じてしまうのは間違いなく人間構造の欠陥だと思いますが…。


大学生になってから「最近なんかあった」的な質問によく直面するのですが、なんもないので悲しくなってしまいます。太郎くんも全く同じことを云っていたので案外みんなそんなもんなんだと安心(失礼すぎるけど)してしまうのが本当にしょうもないと反省しました。この手の会話の動き出しが増えたのも偶に会う知り合いが増えたからで、活動範囲が広がったと考えたら悪くはないのかな。それとも私の会話能力が低いからなのか、下手の横好き。SNSとかいう「なんか」で構成された文化のおかげでなんもない時間が反面色濃く見えるって無限回云ってますけど、考えてみれば在否を比較で捉えるのはおかしいですねすみませんでした。無限回とか3億円とか114514とか数字の誇張は現代日本の数少ないオリジナルカルチャーだと勝手に決めつけていたのですが、読みかけの村上春樹訳(選だったかもしらん)の50年代アメリカボーイミーツガール小説にやたら100億回とか10万回とか出てきたので、これってもしかしてアメリカ発という可能性が出てきました。もし若者らしさを演出するためのアドリブだとしたら天才的ですね。